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記者としての取材や編集者としての仕事の中から浮かんだふとした疑問やトピックをご紹介。裁判や企業法務、雑誌・書籍を中心としたこれからのメディアを主なテーマに、一歩引いた視点から考えてみたいのですが、まあ、精密でない頭の中をそのままお見せします。

防災の日「都内幹線道路97ヶ所通行止め」をみる

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*左折矢印「防災型信号」が点灯した瞬間。(9月1日午前9時前、環七大和陸橋交差点)


きょう9月1日午前9時から10分間、「防災の日」の訓練の一環として、主要交差点を中心に都内の幹線道路97ヶ所を通行止めとする訓練が行われた。
東日本大震災後に、都内で想定を超えた大渋滞を発生したことを受けて、震度6以上になると発動する都内の交通規制を実際に発動させて、規制の趣旨である緊急車両の通行ができるかどうかを検証し、あわせて都民にも規制を周知させるのが狙いだ。

■初めて命が吹き込まれた「防災型信号機」
環状七号線では、各交差点で都心方向への流入をストップさせる訓練が行われた。
JR中央線の高円寺駅を降りると、警視庁のヘリコプターが環七上空を飛んでいた。空から状況を確認するのだろう。

早稲田通りと交差する大和陸橋交差点では、警察官が15人ほど、民間の警備員も出て誘導に当たっていた。結構な大人数で当たっている。
午前9時少し前に、規制が始まった。港区愛宕にある警視庁交通管制センターの遠隔操作で、信号の点灯パターンが変化した。
早稲田通り上り(東行き)の大和陸橋交差点信号は通常の「赤→青→黄→赤+右折矢印→赤」のパターンから、「赤→赤+左折矢印→黄→赤+右折矢印→赤」のパターンに変わり、直進して都心方向に向かうことができなくなった。交通規制のときのみに点灯する「左折矢印」は「防災型信号機」と呼ばれ、初めて点灯した。

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*「災害対策基本法に基づく通行止」看板は、本番の規制の際にも使われる。

今回の交通規制は例外なしで行われ、路線バスも流入を制限されたため、規制終了まで左折して側道で待機する措置がとられた。大きなクラクションが鳴り続ける。見ると白いBMWが環七内回りに右折しながら鳴らしていた。「抗議」しているのだろうか。

■意外と少なかった規制中の渋滞
10分間の規制で、渋滞はどのくらい伸びたか。
早稲田通り上り線の渋滞を見ると、規制開始よりも短くなっていたのはちょっとした驚きだった。規制開始直前までは、この時間の渋滞としてはやや長いと感じていたので、おそらく規制を避けて、早く都心側に入ってしまおうと考える運転者が多かったと思われる。

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*規制直前の早稲田通り東行きの状況。見渡す限り車が並んでいるが、規制が始まると、むしろ渋滞は短くなり、その末尾が見えるようになった。

前回の記事で紹介したとおり、東日本大震災直後の大渋滞は、首都高の前面通行止めに始まり、鉄道が止まっていることから迎えに出た車が拍車をかけて全面マヒ状態になった。小さな要因が重なることで、短時間で深刻な渋滞につながるというのが、東京における3.11の教訓だったといえる。。だから、地震発生直後の段階で、その要素を摘んでしまうことが必要だ。現在の震度6からの規制という条件を厳しくすることも検討すべきだし、運転者にも状況を見ながらの自重が求められる。このような訓練は年1回だけでなく、もっと短いインターバルで繰り返すことで、自動車のみならず自転車、歩行者に至るまで「交通の一要素」だという自覚をもって行動することが、次に来るだろう首都直下型地震をはじめとする大地震への備えとして必要だ。


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