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開発ツールビジネスの再生に格闘。マーケティングの視点で解説

ソフトウェアのバージョン番号と交響曲

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今週、マルチデバイス向け開発ツールへと進化したDelphi / C++Builderを含むRAD StudioのがWindows 10をサポートして新バージョン「10 Seattle」となった。手前味噌ながら、Windows 10の新しいUIやサービスをコンポーネントで手軽に使えるようにし、UIについては、旧バージョンのWindowsでも同じく動くようにするなど、心憎い簡単さへの配慮が光っている。

こうしたWindows 10サポートのほかに、バージョン番号に関する話題も絶えない。「10 Seattle、何て読むんですか?」に始まり、「コーヒーですか?」「マリナーズ?」など。ちなみに、この業界の慣例なのか、整数番号はたいてい英語読みなので「テン・シアトル」が日本での一般的な読み方になる。しかしこれが小数点付きになると、いきなり日本語になるから不思議だ。「10 Seattle」は、「10シリーズ」でいくことになっているので、次は「10.1」かもしれない。そうすると、「テン・ポイント・ワン」ではなく「じゅってんいち」と突然和風になるのだ。

ところで、数字といえば交響曲である。交響曲は、表題のはっきりした交響詩と違い、本来具体的なテーマがあるわけではない。ハイドンやモーツァルトの時代は、交響曲も量産され、整理のために数字がつけられたようなもので、数字にもあまり意味がなく、たまについている副題も、単なる愛称といった感じだ。

交響曲に概念的なテーマを込めはじめたのはベートーヴェンで、「運命」とか「合唱」とか、これも愛称ではあるものの、それぞれ哲学的なテーマが背後に見て取れる。そうすると、後世の作曲家たちは、そこに重い何かを感じるようになる。ベートーヴェンの傑作が第9であるから、9番は特別でなければならない、プレッシャーだ、というように。

そのせいなのかは分からないが、9番を作って世を去る作曲家が何人もいたりして、20世紀ぐらいになるとそれが都市伝説のようになってきた。信じるか信じないかはあなた次第なのだが、猛烈に信じた作曲家がいた。マーラーだ。マーラーは、8番まで作曲してから、9番目の交響曲を「大地の歌」といって番号問題をかわすなどしたが、やはり最後は正面から立ち向かって9番を作り上げた。傑作だ。彼は、10番まで書き進めたものの、半ばで亡くなっている。

一方、ショスタコーヴィチの9番のように、当時のソビエトの大きな期待を軽くいなす、軽妙なツッタカ・ツッタカで笑い飛ばしたケースもあるが、これも9番という番号に対する過剰な意識の裏返しであろう。

さて、ソフトウェアに話を戻そう。ソフトウェアはご存知のようにバージョン番号があるが、製品によっては、特定バージョンで大きくキャラクターが変わることがある。製品名は変わらないので製品のアイデンティティは同じなのだが、バージョンがその方向性を大きく印象付けることになる例だ。

そう考えると、交響曲の番号とソフトウェアのバージョンは似ている。交響曲は楽曲の形式なので、それ自体誰の作品ということを表しているわけではない。作曲者+(交響曲+)番号で、はじめてアイデンティティとキャラクターが成立する。「マラ6(マーラーの交響曲第6番のこと)はいいよね」というのは、アイデンティティとキャラクターを最短文字数で表現したものだ。Delphiでたとえるなら、「D6いいよね」とか。

Delphiは、1995年にバージョン1でデビューして(最初のバージョンにバージョン番号を付けないけど後付けしていうのも交響曲と同じだ。交響曲の場合、その作曲家が生涯1曲しか書かなければ、番号は付かないからだ)、7、8と数字を重ね、その後時流に合わせて、西暦がバージョン番号になった。2007とか2009だ。その後、XEシリーズで、マルチデバイス開発に舵をとり、今回、途中のいっぱいのバージョンを8のあとに並べて、10となった。これも、微妙に数字合わせに苦心しているところがマーラーっぽく感じる。

なお、このバージョン番号に関する見解は、個人的な意見ですので念のため。

最後に宣伝ですが、10 Seattleの新機能を紹介するWebセミナーを9月8日15時から実施します。PCやスマホ、タブレットから視聴できますので、ぜひご覧ください。

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