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開発ツールビジネスの再生に格闘。マーケティングの視点で解説

異なる世界をパッケージ化するプログラム事情

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タイトルだけ読むとフレームワークの記事のようだが、音楽ネタなので念のため。

明後日からの本社出張を控え、明日、演奏会本番である。これまで、前日(つまり金曜日)に、ゲネプロ(本番相当で最後にやる練習)をやって、いざ本番だっだのだが、社会人が平日に集まることは困難で、なかなかテンションも上がらず、本番によい影響を与えないのではないか、でも、少しでも練習の機会がほしいぜ、などの議論の末、とりあえず取りやめになって、その前の週に腰痛になるぐらいみっちり練習した。

その影響もあってか、どうもまだ明日が本番のような気がしない。出張準備を終えても、最後の個人練をしよう、というより、進行中の書籍翻訳を1ページでも進めておくか、と気持ちがいってしまう。

うーん、ならば、と、軽くテンションを上げるために、明日演奏する楽曲を聴きながら翻訳を始めてみた。これはよい。

さて、今回のプログラムは、すでに紹介しているものもあるが、ドヴォルザークの「金の紡ぎ車」、ルーセルの「バッカスとアリアーヌ第2組曲」、そしてベートーヴェンの「交響曲第5番」、いわゆる「運命」だ。

1曲目がチェコの民族調たっぷりのホラーおとぎ話だとすれば、2曲目はギリシャ神話。それもかなりお乱れになるやつだ。前者が紙芝居を今風のCGアニメのように見せる大仰な演出を要求するとすれば、後者は官能と狂乱か。

いずれにしても、背景にあるストーリーを具現化する音楽であるのに対し、ベートーヴェンは、計算されつくした構造物だ。しかも、強烈なパッションを同居させなければならないので、トンネル掘削機のように、ダイナミックながら、ミリの世界を要求される大規模工事のようだ。実際、「運命」は、ひとつひとつの楽器がすべて、意味のある音符をミリの単位で置くように要求されるのだ(しかも、情熱的に!)。

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一般的に演奏会のプログラムは、類似の曲目を合わせてくることが多いが、1度に全然違う3つの世界を味わえるのも楽しい。演奏する側は、気持ちを切り替えて臨まなければならないので大変だが、それでも1度にいろいろ楽しめるのはおいしい。

混在パターンの場合、集客が見込めないけどやりたい曲を間に挟むというのもある。逆に、単一プログラムだと、どうしてもマニアが集まる傾向になり、まったく集客が読めなかったりする。オーケストラそのものを、単一作曲家専門演奏集団としてしまって、固定客を掴もうというのもひとつの手だ。

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