「自分だけの武器」を持たねば、フリーランスとしては生きていけない。「オリジナルの戦略」を描けなければ、コンサルタントは務まらない。私がこれまで蓄積してきた武器や戦略、ビジネスに対する考え方などを、少しずつお話ししていきます。 ・・・などとマジメなことを言いながら、フザけたこともけっこう書きます。

「何となく母の日」とは、もうおさらばしたい

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 あまりにも馴染みすぎて、あるいはくり返しすぎて、さほどその意味を考えなくなってしまった記念日というものが結構ある。例えば母の日、父の日、敬老の日などは、その典型ではないだろうか。

 いつも当たり前のように接してくれる家族。当たり前に自分を愛し、当たり前に助け、そして、当たり前に見守ってくれるーー。家族とは大切な存在だが、その反面、非常にさりげない存在のため、その‶当たり前の有難さ〟に慣れてしまいがちとなるのも、また事実。

 そんな関係だからこそ、年に1度は「改めて家族に感謝の気持ちを伝えよう」というのが、母の日などの記念日が生まれた由来だろう。

 とはいえ、子供の頃から何十回と記念日をやり過ごすせば、記念日そのものはルーティン化してしまう。つまり、当たり前でないコトを祝うべき日が、いつしか当たり前になってしまう。やむを得ないことだが、これが多くの記念日にまつわる実態ではなかろうか。

 ボクも、そうだ。例えば、母の日は「これまでに贈っていないモノをいかに探すか」に、いつしか頭を悩ませるようになっていた。バッグ、財布、時計、コート、靴ーー。一通りのモノは、すでに贈ってしまったからだ。

 結婚して義母ができたのは、15年前のこと。これを区切りに、母の日は大人として「‶2人の母親〟にきちんとしたモノを贈ろう」と決めた。けれども、15年もの間、毎回違うモノを選ぶというのはけっこう難しい。だからGWになると「今年は何を贈ろうか...」と、奥さんと相談するのが恒例行事となっている。

 そう、すっかり母の日の意味をはき違えているのだ。そんな大人になって、かれこれ15年が過ぎた。

母の日に賭ける花屋業界

 と、そのような感じで、母の日直前になって慌てるのが常だったが、今年はまったく事情が異なる。むしろ、かなり早い段階から、それも半年以上も前から「母の日はどうしようか...」と、考えを巡らせてきた。

 というのも現在、イオンが新規事業として展開する花屋「ルポゼ・フルール」のブランド・プロデュースを手がけているからだ。

「母の日がコケると、花屋の1年もコケます。それほど、花屋にとって母の日は大きいのです」

 とは、ルポゼ・ルフールで働く社員の弁である。最初は「何を大げさな」と思ったが、事実、母の日は花屋の1年を占う重要な商戦なのだ。

 まず、母の日にかける準備が尋常でない。何とその期間、およそ1年...。つまり、母の日が終わった瞬間から、もう翌年の母の日の準備を始めることになる。カーネーションを発注したり、母の日関連の雑貨を絞り込んだり、その視線は遠い将来に向かう。

 そんなに早く動かなくてもいいのでは? と、最初こそ疑問に思ったものの、そこには花屋業界特有のまっとうな理由があった。カーネーションなどは、1年前から予約しておかないと間に合わないそうだ。

 考えてみると、花は‶生き物〟である。野菜と同様、欲しいと思ってもすぐに入手できるわけではない。種をまき、それなりの期間を要して育てる必要がある。日本では全国の花屋という花屋が、母の日というわずか1日で大量のカーネーションを販売する。必然的に、1年前から準備せざるを得ないのだ。

 また、日本には花を買う、花を贈るという習慣があまり浸透していない。誕生日にケーキは買うが、花を贈る人は少ないだろう。子供から大人まで、誰もが一斉に花を買うという‶特殊な日〟こそ母の日であり、それはすなわち、花屋にとって貴重かつ最大の商戦となる。

 母の日は花屋のメインイベントーー。そんな事情から、昨年より母の日の企画を考えてきたワケだが、そこには2つの問題があった。1つは「お母さん、ありがとう」的な‶ありきたりのキャッチフレーズ〟が、どうしても好きになれないことだ。

 具体的に、お母さんの何に対して、どのようにありがとうと言いたいのかーー。あやふやな言葉は、お母さんのココロに響かないだろう。これは記念日がルーティン化してしまった弊害に他ならない。せっかく感謝するならば、きっちり相手に伝わる記念日にしたいものだ。

 もう1つは「これまでとは異なる母の日の企画を頼むよ!」という、前任部長の命令というか、お願い。ボクが立てる企画は、バレンタインにしろクリスマスにしろエッジを効かせるのが特徴であり、普通の発想ではやらない。彼は、そんなオモシロ企画を期待していたのだ。

 ボクはいろんな業界のコンサルをしてきたので、そもそも「花屋だから〇〇すべし」といった常識的な発想は持ち得ない。ありきたりな企画、ひねりのない売り場が嫌いなのだ。当然ながら、競合他社とは異なる戦略となる。さらに企画につきもののキャッチコピーは、作家という職業柄もあって、刺激的なものになりやすい。

 ただ、ボクとしては、どの企画も無理にエッジを効かせるワケではない。まっとうなマーケティングの結果、他社と異なるアイデアになるだけであって、決して斬新さのみを狙って企画を考えることはしない。

 それだけに、半年前からずっと、母の日のことに想いを巡らせてきたのだ。

母親への小さなサプライズは、想像以上だった

 私事だが、ボクの母親は75歳になる。区分的には後期高齢者だが、頻繁に旅行にいったりスキーを楽しんだり、幸いなことにとても元気だ。同い年の父親ともいまだ友達のように仲良く、またご近所づきあいにも恵まれており、いつも朗らかに過ごしている。子供にとって、これほど有難い老親はない。

 ボクは東京都内に住み、母親は千葉で暮らす。クルマでわずか1時間ほどの距離なのに「いつでも会えるから」と考え、その実、なかなか会うことは少ない。父親は元気だし、ボクの弟が同居しているため、妙に安堵してしまっている部分もある。

 しかし、よくよく考えると、お正月やGWなど年に数回しか顔を合わせていないのだ。こんなパターンは、決して珍しくないだろう。「いつでも会える」は、「いつでも会えない」に等しいのだ。

 仮に、母親に会うペースを年に2回とする。仮に、母親が90歳まで生きるとする。すると、母親に会えるのは残り15年。計算すると、回数にしてわずか30回ということになってしまうのだ...。

 そんな事実に気付いたのは、5年ほど前のこと。母親が70歳に到達し、見た目は若くても70という何やら重い響きに、愕然としたのがキッカケだった。ボクもちょうど40歳を目前にした時期であり、それを境に「なるべく親に顔を見せることこそ、親孝行」と誓ったのだ。

 そう思ったものの、なかなか実行できないまま過ごしていた、この5年間。

 ところが、先日。千葉までドライブし、新鮮な魚や野菜を大量に買い込んだ。その帰り道、どの高速道路も渋滞だったので、下道で都内まで帰ることにした。ナビに従えば、実家のすぐ近くを通ることが判明した。

 そのまま通り過ぎるのは、ちょっとした罪悪感を覚えた。ドラマ「北の国から」の蛍ちゃんではないが、10分ほどクルマを走らせるだけで、母親に顔を見せることができるのだから...。そもそも2週間に1度は関東近県をドライブしており、ここまで近くはなくとも、千葉にはちょくちょくきていたのだ。

 その日はちょうど土曜日。泊まってのんびりしていけば、親孝行になるかなと、思った。

「大量にお刺身を買っちゃったし、近くに来たから、泊まっていっていい?」

 普段は、必ず事前に連絡してから泊まりにいった。恐らく、何も言わずに訪れたのはこのときが初めて。要は、ちょっとしたサプライズにしようと思ったのだ。ところが、それに対する母親の喜びようが、驚くほど普通でなかった。

 急にご馳走を作り始め、部屋を掃除し始め、ひたすらニコニコと歩き回る。よほど嬉しかったのか、外出していた父親には知らせず、ビックリさせようと子供のようにはしゃぐ始末。まるで、行方知れずの息子に再会したかのように、突然の訪問を喜んでくれたのだ。

「お母さん、ありがとう」

 とは、なかなか照れて言えないものだ。でも、別に改めて言う必要もないのかもしれない。刺身を手土産に、ふらっと立ち寄り、みんなで宴を囲むーー。ただそれだけで「息子は自分を喜ばせにきた」と、母親は無言のうちに理解してくれるもの。それが母親という、当たり前だけど特殊な存在なのだ。

 母の日という記念日に限らず、常日ごろから、気付いたときはいつでも、母親への感謝を表現できる・行動できる大人でありたいと、サプライズ訪問で実感したワケだ。要は「毎日が母の日」でもいいのだ。

 そうそう、結局母の日の企画は、意外と落ち着いた感じになった。ただ、「母親の今の気持ちを察してあげたり」「今後の生活にもっと気を配ってあげたり」、今年の母の日が、少しでもそんな風に考えるキッカケになればいいな、と思った次第。

(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)

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