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「自分だけの武器」を持たねば、フリーランスとしては生きていけない。「オリジナルの戦略」を描けなければ、コンサルタントは務まらない。私がこれまで蓄積してきた武器や戦略、ビジネスに対する考え方などを、少しずつお話ししていきます。 ・・・などとマジメなことを言いながら、フザけたこともけっこう書きます。

今どきの大学生と、昔の大学生。どっちが幸福なの?

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先日、今どきの大学生と少し話す機会があった。就職氷河期に迷える若者は、日々どのようなことを考えて生きているのだろうか・・・。40歳のフリーランスである私は立場上、なかなか一般的な大学生と接する機会がなく、興味とリサーチを兼ねて学生に会ってきたのだが、まあ、その感覚に驚いたり呆れたり・・・。

何だか懐かしく新鮮な感じだなあ・・・

私が面談したのは、某有名大学に在籍するふたりの男子学生だった。待ち合わせ場所に行くと、ふたりはガチガチに緊張して立っていた。第一印象は"ごく普通の若者"である。ファッションも髪型もオーソドックス、爽やかで小ぎれいな雰囲気が漂っており「さっすが今どき~!」と、変に納得してしまった。

彼らは目が泳ぎまくり、血走り、完全にアワアワしていた。私ごときにそんなに緊張する必要ないのになあ? などと思いながら、ふと二十歳の頃の自分の姿を想像し、緊張しない方が無理であることを理解した。

私が大学生の頃、40歳のビジネスマンは確かに"遠い遠い存在"だった。妙な圧迫感というか威厳があり、おいそれと話しかけることのできない雰囲気が漂っていた。でも待てよ? 私が常々思うのは「自分はいつになったらオトナになるのだろうか?」という自問、つまり自分はまだオトナでないという認識である。

若い頃、自分が見上げたオトナは完全なる別の生き物だった。スーツを着て、貫録があり寡黙で、どこかに余裕がある。翻って40歳に到達しようかという自分はどうか? スーツは着ないし、たぶん貫録はあまりないし、オシャベリ大好きでチャカチャカしており、ひたすらバカな話をして笑い転げており、大学生の頃とそれほど変化がないような気がする。

ファッションも若い頃と変わっていない。私は背が小さく体型も細いので、昔から女性モノの洋服を愛用していた。セーターやカットソーなどはレディースの方がシルエットがきれいでデザインも優れており、常に女性モノを着ている。ズボンもメンズではお尻がブカブカになってしまうので、やはりレディース。スニーカーもたまにレディースなので、ひどい場合は全身レディースコーディネートなんて日もある。

40歳の今でも女性モノを着ている。おまけに巨大ピアス、アクセサリーじゃらんじゃらん、髪はグルングルン・・・。お断りしておくと、ミッツ・マングローブさんのような性向はいっさいない。合理的な理由から着ているだけで、後ろ指を指されることはない。いずれにせよ、こんなオジサンは、私が大学生の頃はいなかったはずである。

体型もまったく変わっておらず、考え方もほぼ変わっていないため、40歳の友人たちに会うたびに「お前は昔から変わらないよな~」と言われるわけで、そう言う友人たちも変わらず貫録もなく、現在の40歳は総じて若い。

緊張する大学生を前にして、これでもオトナに見えるのかと、ちょっと安心する。

今どきの学生は3層ヒエラルキー?

スマートな学生たち、こんなおバカなオトナに何を聞きにきたかと言えば、私が新しく作る予定の「学生向け就活塾」というか「ビジネススクール」に関心を持ったとのこと。就職難ということもあって、今どきの大学生は入学と同時に就職を意識するようだ。可哀そうに。

「今の大学生は3層ピラミッドになってるんです!」

ほえ? 私が最近の大学生の様子についてたずねると、まっさきに出てきた言葉が『学生3層ピラミッド構造』という、何だかよく分からないお話。急に彼らの話に興味が沸いてきて、3本目のタバコに火をつける。私が学生の頃はみなヘビースモーカーだったが、今どきは吸わないらしい・・・。

3層とは以下のようなヒエラルキーで構成されているらしく、聞きながら複雑な心境になった。

下層大学生:遊びまくっており、勉強も就活もいい加減なタイプ。

中層大学生:学生団体に所属し、ビジネスっぽいことをやっているタイプ。

上層大学生:会社を興したり投資で稼いだり、すでに学生の身分を超えているタイプ。

私が面談した学生は、現在ではポピュラーな存在であると思われる学生団体に所属しており、そのなかでも"それなりの立場"にあるらしい。

学生団体? 最近の学生はビジネスっぽいことをやっているとは噂には聞いていたが、これが普通の学生の今らしい。明確な定義はないようで、サークルよりマジメ? お金を稼ぐ? 実社会とつなっがている? といったところだろうか。私は理解不能になり、今度は私がアワアワしてしまった。

で、何してんの? とたずねると、若いサラリーマンなんかを顧問に迎え、モノを売ったりしているらしい。恐ろしい時代である。彼らの話ぶりから察するに、遊んでばかりいる下層の学生たちはどうしようもない人種らしい。え? それって普通じゃん! と、思わず叫ぶ。だって、20年前、私の学生時代は全員が下層な人々、酒を飲んで騒ぎ、ろくに勉強せず、バイトばかりし、モラトリアムを楽しんでいたではないか!

昔、ヒエラルキーの頂点にはバカがいた・・・ 

大学の講義は単位を取りやすいか否かで決する。(冒険家でほとんど講義をしない教授などは、それはそれは大人気だった。)

ノートは取らず、誰かマジメな奴のものをコピーをする。(ノートを取るマジメ学生はクラスに数人しか存在しなかったため、貴重だった。)

代返はひとり3人が限界で、それ以上やるとバレる。(教室に学生が15人しかいないのに、40人分の代返をしようと試み、玉砕。)

大学は遊園地である、が基本だった。学生ビジネスなどというスゴイ? 阿呆? なことを企む学生など皆無だった。むかしは多くが勉強もせず遊び呆けており、今どきの学生からすれば我々は軽蔑されるような『最下層な面々』だったのである。

私は飲み会では必ず全裸スタイルだった。サークル50~60人ほどで行きつけの居酒屋の大宴会場に行っては、どこかで誰かが一気をし、吐き、つぶれ、とんでもない騒ぎだった。私含め、裸族が数人ほどウロウロと畳の上を酒を持って歩きまわり、シラフに戻って服を着るのも何だか格好悪く、全裸のままで熱く人生論などをしてた。そんな日々。

たまにはオシャレな店で飲もうよ~などと渋谷に繰り出してはみたものの、騒々しい面々はオシャレな雰囲気にすっかり飲み込まれてみな黙りこくり、ピンクのカクテルなんぞを無言でチビチビ飲んではへぇ~と間抜けなため息をもらし、困った私は通りがかった店員に「この店は全裸OKですか?」などと意味の分からない質問をし、店員のはあ? との不審げな対応に「おい、ここ脱いじゃいけない店なんだってよ~」と言い捨て、ホームタウンの高田馬場に戻って飲み直すと、みなが妙にヘンなテンションで盛り上がり・・・。

誰が勉強ができるだの、偉いだの、金稼いでるだの、そんなちんけなオトナの世界には興味がなかった。私の大学は特にひどかった、と思う。学生ごときにヒエラルキーなんてものは存在せず・・・。あ、あった。おバカな先輩が尊敬の念を集めていた。今とは逆だ。

いつも学ランを着て学内をウロウロしていた大学8年生の超大先輩というか大御所は、「人生楽ばかり~」と歌いながらエベレストを登ったという武勇伝があり、たまに相撲取りの着ぐるみきて歩いていた。みんなの人気者で、ちょっとしたカリスマ性があり、1年生の私などは恐れ多くて話しかけることが躊躇われたものだ。

大学6年生のヘンな先輩は学ランを着て角帽をかぼりたすきをかけ、なぜだか三輪車でキーコキーコしながら学内を漂流していた。そんな姿を見かけた学生は、やはり優しく微笑みながら、そしてちょっとステキと思っていた。

ヒエラルキーで言えばおバカが頂点に立っていた? 時代であった。こんなおバカな先輩は稀だが、普通の学生たちもさんざん遊び、ギリギリまでモラトリアムを謳歌し、いよいよ就活を始めなければという段階になって初めて生活を一気に改め、スーツを着てデキそうな学生に変身して会社を回り、みな卒業していった。今の就活とは事情がまったく異なるから、3年生の冬まで平気で遊んでいた。

学生団体の憂鬱

彼らの話を聞くにつれ、私は非常に不快になると同時に、哀れにすら思えてきた。大学に入るとすぐに就職を意識しなければならない現実と、単一の価値観に縛られていることに気づいていない現実。

貴重な大学生活の多くが【就職という目的】のために捧げられ、就職に有利になるような<実践的な勉強>に励み、面接でアピールするための<実績を見せる材料>として、学生団体に所属する。

彼らの『ビジネスっぽい話』を簡単に聞いてみたが、想像していた通りのレベル、おままごとであった。金を稼ぐのがビジネスと単純に思い込んでいる節があり、スーツを着たり営業に行ってみたり、モノを自分たちで売ってみたり、確かに見た目はサラリーマンのそれに近いように見えるが、ビジネスに必要な知識・経験・思想・社会的意義などが欠落しており【ビジネスとは何ぞや】がない。

「知識」は、ビジネス書で学べても、それを実際に試す場がなければ使い物にはならないし、将来的にはむしろ知識が邪魔をするだろう。

「経験」は、前提となる知識がないと無意味である。経験する意味が分からぬままに経験しても、学ぶことはない。

「思想」は、知識と経験を蓄えていって辿り着く自分なりのワークスタイルである。若いうちの間違った知識と経験は、どうなるのか?

「社会的意義」は、自分の思想やワークスタイルをどのように実践的に社会に還元するかという、問いでもある。

妙にタバコが不味く感じられた。

目の前に座る学生たちはとても良い子たちだった。真剣に話をし、驚くほどピュアでストレートで、若さが全身から毛穴から滲み出ていた。久々に学生と話をしたことで、私も思いがけず昔の自分を思い出したりして、ココロがほんわかした。

彼らは人生に熱心な、コドモだった・・・。みんな頑張れと、思わずにはいられない。

(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)

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