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「自分だけの武器」を持たねば、フリーランスとしては生きていけない。「オリジナルの戦略」を描けなければ、コンサルタントは務まらない。私がこれまで蓄積してきた武器や戦略、ビジネスに対する考え方などを、少しずつお話ししていきます。 ・・・などとマジメなことを言いながら、フザけたこともけっこう書きます。

【就活のオモテとウラ 番外編】 想い出に残る"素晴らしき面接官"たち

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「日本の就活システム」に関して、私は基本的に否定的な見解を持っている。面接官のレベルはそれほど高くないし、人間を見極めるには甚だ不合理であり、企業にとっても学生にとっても"幸福なシステム"とは言い難い。構造的に欠陥だらけ、見直すべきタイミングはとうに過ぎている。

そんな面接官がいたんですか!?

先日、とある企業に在籍する人事のプロフェッショナルとお酒を飲む機会があった。これまで数千人を面接してきたという彼は、私が書いた前々回のブログ「就職は3秒で決まる」、前回の「中小企業ってどんなトコロ?」も読んでおり、話題は自然と就活トークになった。

これまで、どちらかと言えば否定的に書いてきた就活ブログだが、実は、40歳を目前にした現在でも、非常に素晴らしい想い出として記憶に刻まれているコトもたくさんある。そんなまだ書いていない"面接の素晴らしき裏話"をしたところ、人事の彼は「やっぱりそんな時代って本当にあったんですね・・・」と、やや嬉しそうに驚いていた。今回はそんな就活の良きお話を少々・・・。

1)「世界一周に行ってくるよ!」・・・野心を抱いた若手面接官

その面接官は当時20代半ば、学生の私との年齢差はわずか3歳くらいだったと記憶している。彼がちょっと変わっていたのは、まだ若いのに立派な髭を生やしていたこと。現在と異なり、オシャレヒゲがファッションとして許容されるような時代ではなく、特に若手サラリーマンで髭をたくわえている人など、ほとんどいなかった。

髭は彼の風貌に非常にマッチしており、若いながらも独特の雰囲気を醸し出していた。こんな若手社員が髭をたくわえていても許される会社なのか。けっこう自由な社風なのかな・・・と、彼の風貌を眺めながら、面接はそのような第一印象で始まった。

彼は面接の冒頭から自分は海外旅行が大好きだというような内容の話を始めた。仕事の話でもなく、いきなりプライベート、しかも自分の話。風貌通り、彼の面接は何だか少し変わっていた。

私もバックパッカー、同じような趣味だと答え、ふたりでいろんな海外の話で盛り上がった。そして、私は最後にこう付け加えた。「社会人になったら長期の旅行が出来なくなるのが、一番イヤですね」と。同じ趣味を持つ人間なら、きっと共感してくれるものと思っていたが、彼の口からは不思議な言葉が飛び出てきた。

「僕はね・・・これから自転車で世界一周の旅に出るんだよ。」

「・・・会社を辞めるのですか?」

「いや、会社には在籍したまま、数年間かけて世界を回るんだよ・・・」

彼が何を言っているのか、私にはまったく理解できなかった。会社に在籍したまま、数年間、自転車で、世界一周・・・。相当に矛盾した話である。しかし彼はとても嬉しそうに自分の夢を語り、面接相手である学生の私の存在など忘れたかのように、遠い目をして自分のこれからの計画を嬉々として語る。それが本当なら、夢のようだ。しかしそんな酔狂な会社、本当にあるのだろうか?

「うちの会社はね・・・そういう会社なんだよ。」

おお! それは素敵な会社だ。私は咄嗟に「じゃあ、自分も入社して世界一周します!」というと、「いや、それは僕のアイデアで、僕が先にやってしまうからダメだよ・・・」と、クスリと笑う。

彼の理論はこうだった。彼が会社の広告塔となり、自転車で世界を巡る。その場その場で会社にレポートを送ったり、世界中の子供たちとふれあったり、企業PRとマーケティングを兼ねることで冒険に意義と説得性を持たせる(この会社は子供向け事業がメインのビジネスであった)。

彼はこんな壮大かつ無謀な計画を経営者に直訴し、認めさせてしまったのだ。そして彼は現実に、私との面接のあと、有給休暇扱いで世界に旅立ってしまった。4年以上も・・・。

私は相当に自分を恥じた。「会社とは堅苦しいもの」「社会人になったら自由がなくなるもの」・・・そんな風に決め込んでいた。ところが、私と年齢がそう変わらない目の前の面接官は、自分の知恵と度胸で、自分らしく生きる環境を見事に作り出してしまった。圧巻だった。

その後、偶然に彼を日経新聞のインタビュー記事で見つけた。立派な髭は健在だった。そして、羨ましくなるほど素敵な表情をしていた。素晴らしい冒険が、彼の魅力をさらに際立たせているようだ。面接の時、私に夢を語っていたときと、同じ表情だった・・・。

自分の境遇を、嘆くな。

自分の可能性に、見切りをつけるな。

自分の道は、自分の意志で開く。

就活のなか、たまたま出会った冒険家のような若手面接官。彼から面接を受けることができたのは、ただの偶然にすぎない。彼が私に何か説教めいたコトを話したわけではない。しかし、私はこの素晴らしき面接官から、実に多くのことを学んだような気がする。それが上の3つの教訓である。

40歳になろうかという現在、私はいろんなビジネスを手掛け、それなりに経験を積んできたつもりである。それでもなお、私が常に大切にしているのは"20代半ばの若手面接官から得たキモチ"である・・・。

2)「俺の力が足りなくてスマン・・・」・・・学生のために男泣きする人事マン

彼は人事の責任者、採用の中心的なポジションに就く30代半ばの面接官だった。非常にシャープな意見を展開しながら、本質的・革新的な面接を繰り広げ、学生を"ひとりの人間として"じっくり見てくれた。普通の企業の面接とはまったく異なり、純粋に将来のビジネス力や人間力を探る姿勢に、「この面接官は相当にキレモノだな」と感じると同時に、その会社の器の広さが想像された。

就職氷河期第一世代から厳選採用が始まり、よりじっくり学生を吟味するため、面接の回数が飛躍的に増えた時代である。この会社も若手・集団面接を終えると、人事面接だけで3~5回、時間をかけてじっくりふるいにかけてきた。

しかし私の場合、ここにさらに個別面接が入れられた。通常、面接を通過すると翌週あたりに次の面接が設定されるのだが、なぜか私はその合間合間に、余分な面接が毎度追加された。つまり5日おきに会社に足を運んだようなものだった。

それは面接ではなかった。次の面接に備えた"個別指導"であった。「君は謙虚さが足りないから、次はそこを気をつけろ」「次はこんな感じの面接官が出てくるから、覚えておくように」「志望する部署は、ここがいい」・・・。完全にマンツーマン、最終面接までの道筋をしっかりつけてくれた。

これには深いワケがあった。人事の判断と、最終=役員面接の判断は、異なることが多い。人事部が欲しい学生が、必ずしも役員に受け入れられるとは限らない。デキる学生=採用ではなく、役員は自分の企業に合うか否かといった"組織的見地"から、学生を判断する。役員は協調性や柔軟性を重視する傾向が強く【出る杭は打つ前に会社に入れない】という風潮。

私はまさにそんなタイプだったらしい。結局、人事部の圧倒的な後ろ盾がありながら、落とされた。その報告をもらった晩のことだった。私をイチオシしてくれた人事の責任者が、わざわざ自宅に電話をかけてきてくれたのだ。

「スマン・・・本当に俺の力不足だ。人事部としては、君を絶対に入れたかった。本当に・・・スマン」

彼は電話の向こうで学生である私に真剣に詫び、そして、泣いていた。男泣きである。私は恐縮すると同時に、こんなにも思っていてくれたことに深い感動を覚えた。たかが学生ひとり、面接で落ちただけのこと。どこの企業でも、そして面接官である彼は、毎日やっていることに違いない。それなのに、男泣きしているのである・・・。

彼の涙は、私の心中を察してくれたことが半分。人事のプロフェッショナルとしての不甲斐なさ、悔しさが半分だったと思う。それにしても、こんな熱い面接官に出逢えたことは、私にとっては落ちた事実よりも嬉しさの方が大きかった。

自分の仕事には、徹底的にプライドを持つ。

サラリーマンの仕事など、たががしれている。しょせんは生活のためと、私は思っていた。しかし、それは間違いである。どんな状況であれ、どんな仕事であれ、男泣きできるほど打ち込む。

私がこの素晴らしき面接官から学んだ教訓である。やはり私の現在のビジネスを形成するひとつの思想として息づいている。

3)「俺の責任で入社させる!」・・・地位をかけてくれた人事課長

こちらは最終的に私が入社した企業の人事課長で、もっとも世話になり、そして、もっとも影響を受けた人物である。私の採用に関して、やはりと言うべきか、人事部と役員の間で相当もめていた。役員が完全にNGを出したらしい。そこで人事課長は自らの責任で特別に採用させてくれと、上にかけあってくれた・・・と、後から別の人事部の人間から聞いたのだ。

結果として私は入社したが、半年で辞めてしまった。その企業には優秀なビジネスマンがたくさんいたし、尊敬できる人が多かったし、今でも好きな会社ではあるが、単純に私はサラリーマンという働き方が自分に合わないと、早々に分かってしまったのだ。

私が辞める数日前、人事課長はわざわざ私に会いにきてくれた。彼が"自分の責任で入社させる"といった意味を、その重大さを、まだ若造であった私には正確には理解できていなかった。

「すいません・・・期待を裏切ることになりまして・・・・。」

これから責任を取らなければならないであろう人事課長は、笑いながらこう言った。

「ガンガン上に行くか、さっさと辞めてしまうか・・・どっちかだっと思ってたよ。まあ僕のカケが外れたわけだ」

私には返す言葉がなかった。大企業の要職に就く人間が、たかだかひとりの学生のために、果たして自分の責任を賭けることができようか? 組織とは、時に個人の責任をうやむやにするために都合よく利用される性質を持つ。これには一長一短あり、チームプレイのなかで個人のミスをみなでカバーするというメリット、心の逃げ道としてのサポート効果を考えると、実はメリットの方が大きい。いちいち個人で責任を負っていたら、大きな仕事になるほど萎縮してしまうだろう。

しかし、彼の考え方には、安易な道に逃げない男気があった。

●自分のケツは、自分でまくる。

部下に責任を押し付ける上司や、言い訳だけ達者な人間も多い。もしかしたら、ビジネスにおいて一番難しいことを、彼は潔く私に示してくれたのだろうか? 彼は私に怒りを現すこともなく、嫌みや嘆きの言葉も一切もらさず、ドンと構えていた。こうして今ブログを書くにつれ、改めて彼の凄さを実感し、申し訳なく思う・・・。

この素晴らしき3人の面接官とは、以来一度も会っていない。彼らはもう私のことなど忘れているのかもしれない。しかし、私は今でも彼らの面影を、言葉を、ビジネスにおける基本的な思想を、しっかり胸に刻み込んでいる。

(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)

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