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【書評】『交渉は創造である』

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かつてトロント大学ビジネススクールの学長を15年間務めたロジャー・マーティン教授は、著書『インテグレーティブ・シンキング』の中で、相反する考えを前にした時にいずれかを取捨選択するのではなく、それらを並立させて検証・統合する中からベストな答えが導かれる、と指摘しました。であれば、真正面から議論がぶつかるような激しい交渉の場こそ、最高の結果をもたらす「創造」のプロセスであると言えるかもしれません。ハーバード大学ビジネススクールで1993年から交渉術の講義を担当している、マイケル・ウィーラー教授の著作『交渉は創造である ハーバードビジネススクール特別講義』は、まさに「創造としての交渉」を学べる一冊です。

交渉は創造である ハーバードビジネススクール特別講義 交渉は創造である ハーバードビジネススクール特別講義
マイケル ウィーラー Michael Wheeler

文藝春秋 2014-11-14
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世の中にはあまたの「交渉術」本がありますが、本書はマクロな視点から交渉を捉えています。もちろんどのように会話を進めるべきかといった、ミクロな戦術に関する話も出てくるのですが、やはり類書との違いは交渉の全体像を考えようとしている点でしょう。その意味で、本書は狭い意味での交渉について学べるだけでなく、異なる意見・立場の人々とどのように仕事を進めるべきか、その中からどうやって価値を創造していくかといった、ビジネス全般で活用できるノウハウを提供してくれていると感じました。

それが最も良く現れているのが、「交渉環境は変化するものである」という前提から考えるべきという指摘です。

これまでの交渉学理論は、暗黙のうちに変化のない静的な交渉環境を前提としていた。当事者同士の相互作用ではなく、個々の意思決定者に焦点を当てていたのだ。このため交渉の本質的特徴である「変化」によって生じる問題(そして機会)はほぼ無視されていた。

たとえば持ち家を4000万円で売りたいAさんと、3000万円の予算で物件を探しているBさんがいて、両者の条件・状況が変わらないものという前提で個々の交渉を考えた場合、文字通りの交渉「術」と言うようなコミュニケーション上のテクニックが重視されるようになります。そこで注目されるのは、AさんとBさんのどちらが大きなパイを取ったのかという勝負でしかありません。しかし条件・状況が変化するものと考えた場合、単純ですが「リフォームしてから渡すから3500万円で手を打って欲しい」「3200万円で手を打ってくれたら1000万円までキャッシュで払える」などといった、お互いが得をする解決策が見えてきます。その中でAさんとBさんの関係は、勝負というより協力というものに近くなるでしょう。

このように「AかBか」という取捨選択ではなく、「AもBも」という並立・統合のアプローチを行うことで、交渉の当事者ですら考えもしなかった、創造的な解決策が導かれることになります。また交渉相手との敵対関係を止め、駆け引きではなく協力によって解決策を探そうという姿勢からも、創造性の発揮が促されると本書は指摘します。もちろんそこに至るまでの過程は一筋縄ではいかず、破綻する可能性もあるわけですが、本書では様々な事例を通じて「環境変化を前提とした交渉術」を実現するための理論が解説されています。

たとえば、個人的に気に入ったのがこんな事例:

問題三――ボスニアとセルビアの対立

 1995年のデイトン合意によって、旧ユーゴスラビアの血なまぐさい紛争に終止符が打たれた。しかし合意締結後も紛争地域では争いが続いた。セルビア人の狙撃兵は、ボスニア政府が発行するナンバープレートを付けた車を見ると発砲した。

 両者の関係は冷え込んでおり、ボスニア政府はセルビアのキリル文字を使ったナンバープレートを採用するつもりは毛頭なく、セルビア政府も近代的なラテンアルファベットを使うボスニアの方式を受け入れるつもりはなかった。どんな解決策があるだろう?

ごく簡単な事例なのですが、「ボスニア政府はキリル文字を使ったナンバープレートを採用しない」「セルビア政府はラテンアルファベットを使ったナンバープレートを採用しない」という前提に固執していると、アメリカの外交官リチャード・ホルブルックが提示した妥協案には至らないでしょう。彼の出した答えは、セルビア語キリル文字のA・B・E・J・M・H・O・P・C・Tの10文字だけを使うというものだったのですが、これがなぜ解決策になるのかは、セルビア語キリル文字の一覧を見て考えてみて下さい。

以前ダンジョンズ&ドラゴンズの本を紹介したことがありましたが、テーブルトークRPGにおいても、DM(やそれに相当するゲームマスター)が「自分が用意したシナリオ通りに進まないと許さない」などという姿勢を取っていては、最高のゲームは生まれません。しっかりと相手の動きを予想し、十分な準備を整えた上で、予想を裏切る行動に対しては否定ではなくそれに「乗っかる」形で話を進めていくこと。その中から、思いも寄らない素晴らしいストーリーが展開していくことになります。もちろんアドリブで他人とのコミュニケーションを続けることは、TRPGでも交渉でも難しいことには変わりないのですが、期待以上の何かが生まれるかもしれないという姿勢で臨むことで、辛いという気持ちを少しでも和らげることができるのではないでしょうか。そして本書が、そんな「創造的交渉」を実現するためのアドバイスを提供してくれると思います。

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