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【書評】アンチ・ソーシャルの哲学書'Digital Vertigo'

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自らを「シリコンバレーのアンチキリスト」と称する作家、アンドリュー・キーン氏の新刊が出る――そんなニュースを翻訳家のyomoyomoさんのサイトで知り、購入したのがこの'Digital Vertigo: How Today's Online Social Revolution Is Dividing, Diminishing, and Disorienting Us'(デジタルのめまい――今日のソーシャル革命がいかに我々を引き裂き、衰退させ、混乱させているか)です。先日読み終えたのですが、シリコンバレーで全盛を誇る「ソーシャル礼賛」の流れに真っ向から対立しようという、力の入った一冊でした。

Digital Vertigo: How Today's Online Social Revolution Is Dividing, Diminishing, and Disorienting Us Digital Vertigo: How Today's Online Social Revolution Is Dividing, Diminishing, and Disorienting Us
Andrew Keen

St Martins Pr 2012-05-22
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タイトルの'Vertigo'(めまい)から、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『めまい』を連想したという方、実は正解です。本書は『めまい』のストーリーや、ヒッチコック監督の言葉を絡めつつ、ソーシャルメディアがもたらそうとしている「すべてがパブリックになる世界」について哲学的な考察を行っています。ただしそれに対するキーン氏の立場は、ジェフ・ジャービス氏が『パブリック』で取ったような擁護の立場ではなく、完全否定の立場なのですが。

「いま何してる?」や「どこにいる?」を共有したり、目の前の景色を写真や動画で共有したり。読んでいる本や読みたい本、今夜の夕食やそれを食べたお店、授業の出席状況、さらには交際状況までも共有したり。今や自分に関するあらゆる情報をネット上で公開し、他人に知ってもらうことが可能になりました。本書でも関連サービスについてかなりの数が取り上げられ、紹介されており、いかに社会がソーシャル化に邁進しているかを実感できるでしょう。

こうしたソーシャル系サービスを運営する企業や、シリコンバレーの思想に近い著名人たちは、当然ながらソーシャル化に諸手を挙げて賛成しており、自らもそうした未来像を追求していることを隠そうとはしていません(キーン氏はこうした傾向を「ソーシャルのカルト」と呼んで揶揄しています)。本書にはLinkedInのリード・ホフマン氏や、Second Lifeのフィリップ・ローズデール氏、ブログ'Scobleizer'のロバート・スコーブル氏、そしてもちろん前述のジェフ・ジャービス氏といった人々の言葉が紹介されているのですが、むしろネットに触れる機会の多い方々にとっては、彼らの言葉の方が馴染み深いのではないでしょうか。

しかしパブリックだけでなくプライベートの部分を持つのが人間であり、ソーシャル化が過度に進んだ社会は、実際には非常に息苦しい社会なのではないかとキーン氏は主張します。街中のあらゆる場所に様々なセンサーが仕込まれると共に、スマートフォンを持った人々が、いつでも・どこでも周囲の情報をウェブにアップデートするような状況。それは「常に見られているかもしれない」という心境を人々の心に植え付けるという点で、デジタル版の「パノプティコン」(哲学者ジェレミー・ベンサムが考案した牢獄の構造で、円形に配置された独房を中心にある看守室から監視するようになっており、常に監視されているという不安を与えることで囚人たちを規律しようという発想になっている)ではないか――最近様々な場面で使われることの多い喩えですが、本書でもこのイメージが強く打ち出されています。

ただ残念なのは、本書が理論面でのソーシャル化の危険を訴えるだけで、現実的な解決策や行動指針を与えようとはしていない点。前述のように映画『めまい』のストーリーに絡めたり、1851年のロンドン万国博覧会(The Great Exhibition)をめぐるエピソードを重ねたり、ジェレミー・ベンサムの思想を紹介してみたりと、単なるソーシャルメディア論評を超えた深みのある一冊なのですが、「では明日の生活でどう行動すべきか」を期待している人は肩透かしをくらうかもしれません。

とはいえ本書はアンチ・ソーシャルという思想を打ちたてようとする、有益な哲学書であることには変わりありません。ジェフ・ジャービスは『パブリック』の中で「プライバシーを擁護する立場に立つ人が多いため、あえて」パブリック擁護の立場を取ったと明言していますが、最近の状況を見ると、むしろあえてソーシャル化に反対する議論の必要性が増しているのではないでしょうか。その意味で本書は、2012年というこの時代に登場する意義のある一冊ではないかと感じています。

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