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【書評】『クレオパトラ』

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早川書房さまより新刊書『クレオパトラ』をいただきました。ありがとうございます。ということで、いつものように感想と書評を簡単に。

クレオパトラ。この一言だけでも様々なイメージが浮かび上がってくると思いますが、それだけ手垢の付いた題材と言えるでしょう。エリザベス・テイラー主演の映画に始まり、歴史小説や各種ドキュメンタリー、絵画などなど……正直なところ、個人的にも「なぜ今更クレオパトラを題材にするのか?」というのが第一印象でした。しかし原著である"Cleopatra: A Life"は2010年11月の発売以来、累計販売部数が70万部を突破、2013年にはアンジェリーナ・ジョリー主演/デヴィッド・フィンチャー監督で映画化も予定されているとのこと。それだけ「クレオパトラ」に新しい側面を与えた一冊、と言えそうです。

ではどんなところが新しいのか。本書はクレオパトラに対する世俗的なイメージである「絶世の美女で、その美貌で偉大なローマ帝国の支配者をたぶらかした」という評価が、彼女の死後に(一部は生前から)つくり上げられたものであるとして否定します。「歴史は勝者によってつくられる」という言葉の通り、敗者であるクレオパトラには、情け容赦のない非難が行われたわけですね:

クレオパトラはもっともひどい仕打ちを受けていた。裏切り者が歴史を書いた。デリウスやプランクスやダマスカスのニコラウスらは最初に書いた者たちだった。アクティウムの海戦の後、べた褒めが横行し、どんどん神話が作られた時期だった。彼女が生きた時代は、ちょうどラテン語の文学の誕生と同じ時期だった。クレオパトラにとっては呪わしいことに、ラテン語の偉大な詩人たちが刺激され、彼女の恥を喜んで述べたて、彼女にとっては不親切な言語で著した。しかも彼女の記録はそれがすべてだった。

またクレオパトラが女性であったという点も、ローマの男性上位社会で否定された一因であることが指摘されています:

クレオパトラの死後も、彼女の運命は、生前と同じように劇的に浮き沈みした。彼女の死後、その力の源は性的な魅力だったとされているが、それがなぜかははっきりしている。カエサル暗殺団の一人が、述べていた通りなのだ。「人は自分のおそれていることよりも思い出に、どれだけ多くの注意を注ぐものか!」ある女性の成功は、彼女の頭脳のおかげではなく美しさのせいだとし、彼女を単に色仕掛けで成功した女にしてしまった方が、いつも好ましいのだ。大きな力を持った魔女には誰も敵わない。ヘビのように賢い頭脳――あるいは真珠の鎖――で男を誘惑する女には、きっとなにか解毒剤があるはずだ。クレオパトラが誘惑する女というより賢人だったので、落ち着かないのだ。

「賢人」という表現がなされていますが、実際に本書ではクレオパトラが有能な施政者であるとして描写されており、戦略的でリスクを取ることを厭わない姿は、男性であれば間違いなく「敵ながらあっぱれ」的な評価を与えられていたであろうという気分にさせられます。

さらにもう1つ重要なのは、当時のエジプトとローマの関係です。先ほどあえて「偉大なローマ帝国」と書いたのですが、実はクレオパトラが生きていた時代はアレクサンドリアの方が遙かに文明的であり、ローマはまだ「成り上がり国家」と表現した方が良い状態であったことが指摘されています:

ローマはこの頃、アレクサンドリアの人口を追い越していた。紀元前46年には人口100万人の都市だった。他のあらゆる点においては、ローマは時代遅れの田舎だった。野良犬が人間の手を朝食のテーブルの下に置いていったり、牡牛がダイニングルームに飛び込んでくるようなところだったのだ。今回の旅は、ヴェルサイユ宮殿から、18世紀のフィラデルフィアにやってくるようなものだ。アレクサンドリアでは過去の栄光が強く感じられた。ローマの栄光の未来は、クレオパトラの目にはどこにも見えなかった。どちらが旧世界でどちらが新世界なのか、まだ間違えても仕方がなかったのだ。

実際にクレオパトラの歓迎の下でアレクサンドリア、そしてエジプトを目にしたカエサルとアントニウスは、その進んだ制度や技術などをローマに導入しようとしています。先進国の有能な女性指導者を打ち破り、波に乗る新興国の男性指導者たち。エジプトがローマの属州となり、次第に勢いを失っていく中で、そしてローマ帝国が文化的にも頂点を迎えようとする中で、彼らがクレオパトラのイメージを地に落とす行為を繰り返したのは、残念ながら避けようがなかったのかもしれません。

ということで、そんな欺瞞と捏造で塗り固められたクレオパトラの「悪女」イメージを、著者のステイシー・シフ氏(@stacyschiff)は丁寧な検証で一つずつ取り除いてゆきます。その過程は歴史書というより、ジャーナリズムの文章に近いかもしれません。同じ場面を描写する資料を重ね合わせ、その中で触れられていること・触れられていないことを整理し、作者の裏の意図を探る。彼女の推理が全て当たっているというわけではないと思いますが、2000年かけて「クレオパトラ」という人物にこびりついた偏見をぬぐうのに大きく貢献しているのではないでしょうか。

クレオパトラ像の書き換えは「(邪悪な存在をローマの新しい支配者が倒すという)結末から始められている」とステイシー・シフ氏は指摘します。それを正すには、私たちも「結末」から過去を見渡し、塗り替えられた部分を元に戻してゆく必要があるのかもしれません。そしてこの視点は、歴史を相手にする時だけでなく、あらゆる伝聞を評価する際に心に留めておかなければならないものではないでしょうか。

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ステイシー シフ 近藤 二郎

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