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【シーズン4 第6話】インドネシアのイスラームと新幹線

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  【シーズン4】の第1話から5話までは、イスラームの基本的なことを考察してきましたが、今回から現代に応用し、環境研究(世相の変化予測)を進めてみたいと思います。

 マイルの有効期限の都合で、近場のアジアで行ける地域と飛行機が予約できる時期がないかと決めた日程で、2015年に9月26日から10月1日までインドネシアのバリ島に行って来ました。この旅行では、バリ島はヒンドゥー教の多い島なので、イスラームの文化などを感じることはありませんでしたが、帰りの飛行機で日本語で書かれた「じゃかるた新聞」の倉沢愛子さんの記事を読んで、気づいたことがあります。

 ご存知のようにイスラームはインドネシアで大変普及しています(国教ではない)。これは15世紀に「ワリ・サンガ」(ワリ・ソンゴ)と呼ばれる9人のスーフィー聖者によって広められた、と言われています。インドネシアのスーフィズムは「第3のイスラーム、スーフィズム」で紹介したように、土着の習俗や信仰に柔軟に混合したイスラームのひとつです。もともとはインド商人の伝えたヒンドゥー教だったのですが、スーフィーの「神人合一」という考え方も、古代ヒンドゥー教に影響されたものなので、親和性も良かったのでしょう。

 「ちなみに、スーフィズム(イスラーム神秘主義)における『絶対者と自己との合一』は、古代ヒンズー教のアートマン(自我)とブラフマン(宇宙原理)の合一がビルトインされたものとのこと。・・・ スンナ派であれシーア派であれスーフィー教団に属しているムスリムも多いようです。そしてスーフィズムには、他宗教に対して寛容で、細かい戒律にうるさくなく、土着の風習や信仰と柔軟に混合しやすいという特徴があります。そのため、商人のネットワークに乗ってアフリカ、南アジア、中央アジア、中国、さらに偏西風に乗った貿易船で東南アジアなどにイスラームは自然に浸透したのです。

 そして、スーフィズムが先兵となりイスラームがインドネシアの各島に浸透して行き、その後、イスラームの本場である中東から情報や知識が入ってくるようになり、現在のスンナ派になったようです。

 当然、イスラームは大きな勢力ですから政治的にも力がありますが、建国の理念(パンチャシラ)には、「唯一神への信仰」Ketuhanan Yang Maha Esaが原則であって「アッラーへの信仰」とイスラームを特定した表現はされていません。

 「インドネシアで認められている宗教は、イスラーム、カトリック、プロテスタント、仏教、ヒンドゥー教で、ユダヤ教、道教、天理教などは認められていない。ただし、近年華僑に対して友好的な宥和政策が取られるかなで、この五つの他にも儒教も正規の宗教として認めていこうという姿勢が見られるようになり、近年正式に認められるようになった。その一方で『宗教を持たない』自由は認められていない。」 インドネシア イスラームの覚醒 倉沢愛子著

 儒教も認められイスラームと華僑が仲良く暮らすインドネシア、というイメージだったのですが、日本と中国が競合したインドネシアの新幹線の売り込みが中国に決まったことを日本政府に伝えたのが9月29日だったということを知り、9月30日の1日前という理由が妙に気になりました。

 バリ島のロックバーとインドネシアの9月30日事件(私の個人ブログHamsa)

 「5日間の滞在中にTVのニュースでインドネシアの新幹線が中国に決定した、というニュースが流れていました。帰国後調べると日本政府に伝えられたのは9月29日だったようです。帰りの飛行機にあったジャカルタ新聞にあったインドネシア研究家の倉沢愛子さんの記事で、今年はインドネシアの「9月30日事件」のちょうど50年目であることを知りました。

9・30 世界を震撼させた日――インドネシア政変の真相と波紋
 一九六五年一〇月一日未明に、ジャカルタで軍事政変が勃発、半年後の一枚のスカルノ大統領が発したとされる命令書により、権限はスハルトへと移った。中国では文化大革命が起き、東南アジアにアセアンが成立し西側反共主義陣営の結束を固め、日本は大規模な経済進出の足掛かりをつかんだ。政変を主謀したとされたインドネシア共産党は非合法化され、党員は逮捕され殺され政治犯にされた(50万とも100万とも言われる)。国内全土に大虐殺の嵐が吹き荒れ、インドネシア経済を担っていた華僑への迫害がエスカレートしていく。膨大な一次史料と先行研究を踏まえ、いまだ謎に包まれた事件の真相を追究し、インタビューと現地取材を通して、事件の波紋の全体像を活写する。』

 『9月30日事件』でインドネシア共産党が一掃され日本が一気にインドネシアに進出、その50年目が今年の9月30日。そして、中国の新幹線受注の発表が50年後の9月29日。インドネシアに合法化された共産党はもうないと思いますが、今回の商談は中国共産党の勝利になったのですね。」  私の個人ブログHamsaより

 インドネシアの独立に力を貸したのは敗戦後に残留した日本兵だったことは有名(映画 ムルデカ17805参照)ですが、独立を推進したスカルト政権からスハルト政権に移行(9月30日事件から3.11政変:スーパースマール)した際にインドネシアに本格進出したのも日本です。しかし、インドネシア共産党員は虐殺され、華僑は追い出されることになってしまいました。そして、50年後の新幹線の商談で、その怨念は中国の商談勝利を導き出したのではないでしょうか。

 今回のバリ島の旅行が9月26日から10月1日まででなければ、このつながりに気が付かなかったことですが、少なくとも政治が絡んだビジネスでは今まで50年間(1965年の9月30日事件から2015年の9月29日まで)の日本とインドネシアの関係と今後の関係は違って来る、ということを予感させる商談が今回の新幹線の商談だったように思えて仕方ないのです(日本政府のODAはインドネシアが最大の受取国)。

 ちなみに、「9月30日事件」は実際には日付が変わって10月1日未明に決行されたにもかかわらず、実行者たちが『9・30運動』と名付けたのは、『10・1運動』とすると国慶節を連想させる(共産主義国家樹立の試み --- インドネシアに核兵器 毛沢東主席が要請 1965年9月30日に 中国外交文書で判明 )、という意見もあるように、なぜ、日本政府に9月30日でなく9月29日に商談の結果を伝えたのか、9月30日だと50年前の権力シフト(容共産主義⇒反共産主義)のトリガーになった「9月30日事件」を連想させるからではなだろうか、とつながりが類推できます

 インドネシアのイスラーム政党などへの国民の関心は薄いにもかかわらずイスラームへの求心力(政治とは結び付かない)は増している、と私は推測しています。そして、今回のインドネシア新幹線の完成までのプロセスや完成後のアウトカム、あるいは、日本ではほとんどニュースになりませんが、インドネシアとパレスチナとの関係(インドネシア イスラエルの国交正常化要求を拒否が、イスラームとしての連帯感の強いインドネシアの国民感情をどこに向かわせるのか、などの環境研究(世相の変化予測)は、今後のASEANのイスラームへのマーケティングを考える上で非常に重要なことではないでしょうか。


【シーズン1】デジタルのマーケティング
 http://blogs.itmedia.co.jp/CMT/1/

【シーズン2】マーケティングクラウドとマイクロサービス
 http://blogs.itmedia.co.jp/CMT/2/

【シーズン3】イスラエルのオープンイノベーション
 http://blogs.itmedia.co.jp/CMT/3/

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